うた華ブログ ~現役北大生~

北海道大学文学部に在籍。人生の目的は幸福に生きること。

20歳で気がついた。考え方は何度も変わる

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どうも、うた華です。私は現在20歳である。今までの人生を振り返ると、ここまで短かったような、長かったような、どちらの気もしている。とは言え、まだまだ20歳の若造である。後から振り返れるよう、20歳の自分がどんなことを考えていたかをここに記録しておこうと思う。

 

この記事では、20歳になって気づいたことについて書いていきたいと思う。

私が気づいたことそれは、「考え方は何度も変わる」ということだ。

 

 

今まで1年、1年と年を重ねて来たが、1年経つだけでも考え方というものは随分変わるということに気づいた。1年とは言わず数カ月でも。

 

 

このことに気づいたことで、私の中でいい変化があった。

 

それは、大人の意見に耳を貸せるようになったということである。私は大人を信用していなかった。なぜなら、大人は頭が固いから若い自分の方が正しいと思い込んでいたからである。だが最近になり、自分が年を重ねるにつれて考え方が何度も変化していっていることに気が付いてからはその考え方が変わった。「考え方が変わる」という経験を私の何倍も繰り返し経験している大人のいう事は信用できるんじゃないかと思ったのだ。1年で随分人は成長できる。その1年を積み重ねてきた大人を侮ってはいけない。大人のいう事を信用してみるのもありかなと思えるようになった。勿論どうしても受け入れられない考え方は、棄ててもいい。(後で拾えばいいから)そして、少しでも自分のためになりそうな考え方だったら理解に徹してみようと思った。

 

今は理解できない、ありえないと思うような考えも、そういうことだったのかと思う日がくるかもしれない。考え方は何度も変わっていくのだから、今は全く理解できないようなことも、数年後には理解できるのかもしれない。共感できるのかもしれない。そう思うと、他人の考えに耳を傾けて、理解しようと努力することができる。

 

だからありえないと思うような考え方に出会った時には、「なるほど、今の私の考え方とは違うけど、そういう考え方もあるよなあ(経験してきたことが違うんだから考え方が違うのも当然だ、私の考え方もそう変わっていくかも)」 と思えるようになった。こう考えることで随分コミュニケーションが楽になっていく気がする。

 

自分は正しさを信じる基準としてきた。だが、正しさって絶対的じゃないことに気が付いた。意外と主観が入り込んでいるから、人によって正しさは違う。人類全員の正しさを考慮していたらものすごく疲れてしまう。

だから私は、自分がいかに楽で幸福でいられるかを信じる基準に設定することにした。私の人生において1番大事な目標は、幸福に生きることだからである。正しさを追い求めていても終わりがない。むしろ、幸福から遠ざかっている気がする。

 

 

ここまで現時点での私の考えをここに綴って来たけれど、この考え方だってゆくゆくは変化するかもしれない。むしろ変化してほしいとさえ思う。なぜなら、変化しないと人は成長できないからである。

  • 私は思い込みやすいから、今の考えが絶対に正しいと思い込むのはやめよう。
  • 私は柔軟な人間でありたい。
  • 変化を楽しめる人間でありたい。

これらのことを肝に銘じて生きていこうと思う。

 

 

 

以上、「人の考え方は何度も変わる」ことに気づいたという話でした。

 

読んでいただきありがとうございました。

 

 

うた華